稲妻水晶 「雷の妖精と錬金術師」
ミリレイアは、空に感情を放つのが大好きで、嬉しいときは歌うように雷を踊らせ、悲しいときは雨を降らせて空を濡らし、怒ったときは稲妻で空を真っ赤に染めました。彼女の感情は、いつも空にあふれているのです。今日も激しい感情を放ち、勢いよく雷を落としている時でした。
「……また?」
仲間のひとりが、遠巻きに言いました。
「昨日も、笑って泣いて怒って……空がめちゃくちゃよ。」
ミリレイアは笑って振り向きました。
「えへへ……だって、どうしようもないんだもん!気持ちがわぁぁってなったら、光にしないと苦しくて!みんなもそうでしょう?」
けれどもう一人の妖精が、少しきつい声で言いました。
「ミリレイア、感情を出すのはいいけど……あなたのは、あまりにも自分勝手な出し方なのよ。雷って、エネルギーが強すぎるものなの。あなたの感情を全部出してスッキリするためのものじゃないのよ。」
「……っ!」
ミリレイアは息を呑みました。
「でも……感情って、そういうものでしょ?溜めておく方が、もっと危ないよ……」
けれど誰も答えてくれませんでした。
仲間たちはどこかよそよそしく、空にそっと距離を置いて飛んでいってしまいました。その背中を見つめながら、ミリレイアの胸の奥で、“なにか大切なもの”が、ひとつ、壊れた気がしました。
「わたし……間違ってたのかな……?」
その瞬間、空がうねり始めました。ミリレイアの感情が制御できなくなり、雷雲を呼び、嵐が広がっていきました。光と音が爆発し──稲妻が空を引き裂いたその瞬間、彼女の背中にあった羽は──灰のようになって、音もなく崩れ落ちていったのです。
ミリレイアは森の奥へと落ち、何日も泣き続けました。羽がなければ空に飛べず、雷を空に広げることができません。この地面で、嵐を起こすわけにもいかず、感情を抑えながらミリレイアは目眩がしてきました。
「何がいけなかったのだろう・・・」
この気持ちを誰かにわかってほしい。でも誰にも相談できない。混乱する心のままミリレイアは歩き続けました。
やがて、古びた塔の近くを通ったとき、彼女はふと冷たい光を感じて見てみるとその塔から薄い青い瞳をした一人の青年が出てきました。
「……誰だ。こんなところまで来るとは、物好きだな」
「わ、わたし、羽を無くしてしまったの。」
「ふん、妖精か。」
青年は興味なさそうに、塔にまた入ろうとしました。
「あんたは何よ」
「俺は錬金術師のハクト。」
「ハクト、わたしの話を聞いてくれないの?」
「特に興味もない」
「意地悪だわね!いいわよ、わたしだってあんたみたいな意地悪に話すことなんてないんだから」
「俺は意地悪でもないし、優しいわけでもない、そういうものは生きていく上で邪魔なだけだ。」
ミリレイアは驚きました。
「それは違うわ。そういうふうな感情がなければ雷は作れないもの!」
建物に入ろうとしていたハクトは立ち止まって振り向きました。
「雷だって?」
「ええそうよ、わたしは雷の妖精なのよ。雷は私たちが自由に感情を出すことで光るの。」
青年はしばらく黙って、そして話し始めました。
「俺は、術式で雷を……作ろうと思っている」
「術式?」
「理論上は可能だ。だが、どうしても何かが足りない。式が完成しない」
「もしかしたら、それ……わたしがお手伝いできるかもしれないわ。もし手伝ったら、私の羽が元通りになる方法を探してくれる?」
「いいだろう」
ふたりは共同で術式を研究することになりました。ミリレイアは塔の一番上にある空いている部屋を使わせてもらって暮らすようになりました。
「上の方にいると、空に近い感じがして安心するわ」
ミリレイアは早く羽を取り戻して空に帰りたくて仕方ありませんでした。心の中の感情を空に放ちたくて仕方ないのです。
塔での生活は、思っていたほど楽しいものではありませんでした。二人は全く意見が合わないのです。
「なんでそんなにいつも冷静で冷たいの? ハクトは怒りたくならないの?」
「怒っても、何も変わらない。感情は、ただの雑音だ」
「違うわ。感情は……叫びたい心の声なのよ!ハクトは大声で叫んだり、笑ったりしないの?」
「……もし全部出したら、俺は壊れる。だから、抑えてるんだ。いいか、感情は、抑えなければ他人を傷つける。制御されて初めて価値があるものなんだ。」
それを聞いてミリレイアは黙ってしまいました。仲間に言われたことが思い出されたのです。
「わたしに足りないのはそのことだったのかしら……わからないわ。」
しばらくするとミリレイアは、地上で感情を抑えていることができなくなってきました。ハクトは何を言っても冷静で反応が薄いので、ミリレイアの心の中は閉じ込めた感情ではち切れそうになってきたのです。爆発させたら雷を呼んでしまう。ミリレイアは地上でそんなことが起こったりしたらとても危険だと思っていました。
ある日、ハクトは、ミリレイアと話し合って作り上げた渾身の術式を試すと言いました。今度こそこの術式でうまくいく気がする、ハクトはいつになく興奮していました。ミリレイアもハクト以上にワクワクし、目を輝かせながら、ハクトの錬金術を側で見守っていました。
慎重に術式を組み、何かを唱えると、風が吹き、どこからか黒い雲が集まってきました。ミリレイアは、久しぶりに嬉しくて叫びたい気持ちを一生懸命抑えていました。
しかし、しばらくすると、風は穏やかになり、黒い雲はちぎれて白くなり散っていきました。穏やかな、退屈な空が広がりました。
「またダメだったか。」
ハクトは少し肩を落としただけで、術式はそのまま残して塔へ戻ろうとしました。
「ちょっと待って!ハクト!悔しくないの!?」
ミリレイアは瞳に涙を浮かべて悲劇的な感情をハクトにぶつけました。
「……大丈夫だ。次はうまくいく。原因は、術式の構造にあっただけだ。」
ハクトは、ミリレイアと目も合わせません。
ミリレイアは悲しくて、とうとう我慢できなくなってしまいました。空が暗くなり、風が唸り、嵐が巻き起こりました。悲しみが怒りに変わり、胸の奥から何かが込み上げてくる。押さえようとしても、手が震え、息が荒くなる・・・
「ああ、わたしのこの気持ちはなぜハクトに届かないの!!!!」
大地に立って叫ぶミリレイアの力が暴走し、竜巻が生まれそうなほど強い風が吹き始めました。
「ミリレイア、やめろ!」
ハクトは冷静に沈めようとしました。その時、ハルトがさっき残した術式が強く光りました。術式から出た雷が塔を直撃し、ハクトは吹き飛ばされ、肩に大きな傷を負ってしまったのです。
その夜、ミリレイアはハクトの傍に座り、震える声で言いました。
「ごめんなさい……」
ミリレイアはハクトのそばで、涙をぽろぽろとこぼしながらつぶやきました。
「わたし……どうしても感情を止められないんだわ。抑えるって、どうすればいいのかわからないの。雷が、わたしそのものみたいに、勝手に走り出すの。」
ハクトはしばらく黙っていましたが、やがて目を閉じたまま静かに言いました。
「ミリレイアが俺の術式を完成させたな……ありがとう」
「え?」
「俺も、ずっと怖かったんだ。自分の感情が、誰かを傷つけるんじゃないかって。だから全部、閉じ込めてきた。」
「……!」
「でも、ミリレイアの感情は雷を作った。……俺に、ちゃんと届いた。痛かったけど、怖くなかった。なんていうか……感動した。」
ミリレイアは、ゆっくり顔を上げました。青白い月光が、彼女の頬を濡らす涙に反射してきらめいていました。
「俺は周りの人の感情で嫌な思いをする環境で育ったんだ。だから……感情は、ただの呪いのように思ってた。けどミリレイアを見てたら、違うかもしれないって思った。今まで”感情は不確かで、破壊をもたらす”ってずっと思ってた。だから俺は、”すべてを論理と法則で制御できる力”こそが本当の救いだと信じて錬金術の道に進んだんだ。でもさ、俺がどんな術式を組んだって、うんともすんとも言わなかった空に、ミリレイアの感情でいくつもの雷が出たんだよ。俺に足りなかったものだ。光が、感情によって出現するのを初めてみたよ。感情なんて一切いらないって思ってたけど、違うってわかったんだ。」
ふたりは見つめ合い小さく笑い合いました。
「うふふ、ハクトがこんなに喋るの初めてかもしれないわ。私はね、とにかく感情を出さなきゃって、いつも思ってたの。出さなきゃダメだって思い込んでた。なんでも雷にして、空に放っていいんだって。でも……ハクトと一緒にいるうちに、ただ出すよりも大事なのは、自分の気持ちをちゃんと確認することだったんだって……やっと気づいたの。わたしね、「感情を抑える」か「感情を爆発させる」か、の二択しか知らなかった。けれど、雷のような強いエネルギーは「ただ出す」のではなく、「扱うこと」が必要なのね。みんなが言ってたのはこのことだったんだわ。ハクトにも、どうやってわたしの気持ちを伝えたらいいかわからなかったの。本当にごめんなさい。」
「俺もミリレイアに寄り添おうとしなかった。俺は……ずっと感情を捨てようとしてた。でも、本当は……感情は自分を知るための鍵なんだな。俺は自分のことが何もわからなくなってたよ。」
そのとき、静かに雷が空を走りました。破壊ではなく、創造の光。
「俺、術式の中に、雷を呼ぶ”理論”だけじゃなくて……“感情”を織り込んでみようと思う。」
「感情を……?」
「うん。雷は、きっと感じる力と、想いで呼ぶものなんだ。」
「ミリレイア、感情を“そのまま出す”だけじゃなく、“伝える”ことはできる?」
「伝える……」
「うん。雷はただぶつけるものじゃない。気持ちを届けるための“ことば”にもなるんじゃないかって、思ったんだ」
そのとき、ミリレイアの胸の奥で、なにかがゆっくりと動き出しました。
そうか。雷は「爆発」じゃなく、「メッセージ」にもなれるんだ……。
「わたし……やってみる。今度はちゃんと、伝えたい気持ちを乗せて、光らせてみる!」
そう言った彼女の背に、ふわりと柔らかな風が吹きました。
淡い光が舞い、透き通るような小さな羽が──うっすらと、でも確かに──再び、彼女の背中に現れ始めていたのです。
二人は、それからまた新しい術式を作り上げました。感情を組み込むけれど、その感情を「伝える魔法」として扱う術式の構築。それは、雷が誰かを傷つける力ではなく、心の奥から届く“ひかりの言葉”になるための錬金術でした。
空と大地が繋がり、雷が祝福のように世界を照らしました。
二人で作った大切な光でした。
稲妻水晶
50,600円(税込・送料・額代込) |